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(2009年 1月 〜 2009年 6月)


(2009年06月25日) 【言葉が通じない!?】[▲ 先頭へ]
今週日曜日は夏至でした。中3クラスで、日曜日は夏至だったねと話しかけました。ある生徒さんに、夏至はどんな日か確認したところ、正しく答えました。彼に夏至の反対の日を問うと冬至と答えてくれました。さらに、昼と夜の長さが同じになる日が1年に2回あり、1年で最初に来るのは何と質問しました。彼は一瞬考えてから春分の日と正しく回答しました。このやり取りをニヤニヤしながら聞いていた人がいました。その生徒さんは知識が微妙で、「凄いな」と思いながら聞いていたそうです。

以上は公立トップ校を狙うクラスでの1シーンです。毎年この時期に、夏至、冬至等について問いかけますが、この身近なことに関する知識が微妙な人が少なからずいます。テレビ、ラジオでも、特に天気予報で夏至の日であることとその意味について伝えられますから、よくわからないということ自体がよくわかりません。

今の中高生はこのような日常的な知識だけではなく諺や慣用句に関する知識が非常に乏しく、戸惑うことが本当に多いです。先日は、「こんなことは朝飯前だよね。」と話した後、「朝飯前」の意味がわかっているか確認しました。予想通り知らない人がいました。諺や慣用句を使って話をする時は、生徒諸君の表情を見て伝わっているかどうかをチェックしなければなりません。極端に言えば、諺や慣用句はほとんど通じないと言った方が良いかもしれません。

今の子供たちは本を読まないからだという説明がありますが、それは私の経験からは当たっていません。私自身は中高生の時、ほとんど本を読みませんでした。高校時代、夏休みの計画表の読書欄を空欄で提出して先生に叱られたことがあった位です。私が本を読み始めたのは、東京に出て電車通学・通勤するようになってからでした。暇つぶしのため電車内で本を読んだのです。

私が特別に諺や慣用句をたくさん知っているわけではありません。フツーに知っている位だと思います。子供の時に本を読んで覚えたのではありませんから、それらを何時どのように覚えたのか不思議です。私が中高生の時は今の中高生と同じレベルで、社会に出てから常識の一部として覚えていったのでしょうか。昔の国語の教科書を勉強する過程で少しずつ覚えたのでしょうか。自分自身がどのようにして覚えたのかはよくわかりませんが、今の中高生が諺や慣用句をほとんど知らないということは事実です。日本語の持つ味わいや深みが失われつつあるのではないかと感じてしまいます。

(2009年06月18日) 【デモシカ先生】[▲ 先頭へ]
先週末、母を訪ねました。母は、志賀町の別荘地内で囲炉裏のある和風ペンションを弟夫妻と一緒に経営しています。訪問の目的は、元祖教育ママの意見を聞くことでした。本欄10周年シリーズ「To summarize 10 years」はサミット・ゼミ10年間の経験をまとめたものですが、5月28日付けの「その20」は、私自身の仕事をも否定する渾身の一話で、是非母上の意見を聞きたいと思いました。

母は、本当にそうだねと賛同してくれました。教育に関して一家言持っている母は、さらに、教育は50年かけて悪くなってきたから、元の水準に戻すには50年かかると言いました。母が指摘したのは「デモシカ先生」です。昭和40年代頃は大学の教育学部が合格し易く、先生に「でも」なるか、先生に「しか」なれない人が教育学部に進みました。そのような教育に対する情熱を持たない現在50代前後の人達が学校の現場で指導的立場にいる状況では期待ができないということでした。

かなり鋭い指摘だと思います。ただし、50年かけて悪くなってきたという点は言い過ぎで、私は、教育がおかしくなってきたのは、この30年ではないかと考えています。その根拠は、1980年以降のゆとりカリキュラムといわれる学習指導要領です。それまでのカリキュラムについていけない生徒が多くなり授業内容を削減したものでした。私立学校はあまり削減しなかったので、公立学校との差が付き始めたと言われています。

私が会社勤めを続けていれば、現在の教育の問題点に気づかなかったはずです。しかし、たまたま11年前に学習塾を始めて大きな問題を身近に感じました。是正するために何らかの行動を取るべきかなぁ〜と母に尋ねたところ、とても難しいものの成算があるのならやってみなさいということでした。春に上京して友人と話してからいろいろ考えていますが、今のところ具体的かつ効果的なプランは思いついていません。大仰に言えば、経験、知恵、企画力や行動力等私自身が試されているようです。

(2009年06月11日) 【優しくしようか?】[▲ 先頭へ]
中3クラスでは、先週の中間テストの結果が戻ってきました。平均点が高かったということもありますが、頑張って中学入学以来の最高点をマークした人が何人かいました。その内の2人の生徒さんに、「授業中、私はもっと優しくしようか?」と聞いてみました。

3月中旬に中3クラスが始まってから3か月になります。本当は心優しい(?)私ですが、授業中はかなり厳しく生徒の皆さんに接します。私は中高生の皆さんを、子供ではなく、近い将来自立する1人の人間として尊重しているからです。最初の授業で、時間を守ることと宿題が出された時は必ずやってくること(=約束を守ること)を確認しました。その後誰かが遅刻した場合は叱ります。遅刻は社会的ルールの違反でもあり、時間通りに教室に入った他の生徒さんに迷惑をかけることにもなるからです。

また、英語の授業では、説明した文法のプリントは必ず復習するように指示しています。そして機会ある毎に、生徒の皆さんに既に説明した文法内容の確認をします。例えば、”a lot of” が出てくれば、それが ”many” なのか “much” なのかを聞きます。この繰り返しの確認作業が私の英語の授業の特徴です。理解・記憶の甘い最初の2〜3回は間違えると正解を説明するだけですが、大体4回目以降の確認で生徒さんが間違えた時は、私の厳しい言葉が飛びます。

時間や約束を守ること、そして何回か説明したことはしっかり自分のものにすることは当たり前のことです。この当たり前のことを当たり前に行うために厳しく接しています。生徒の皆さんが萎縮しないように注意しながら、良い意味での緊張感を作りだそうとしています。自分では厳し過ぎるかなとも思っているので、上述の質問をしてみました。その結果は、2人とも今まで通りで良いですということでした。自分のメッセージが彼らに伝わっていると感じて嬉しかったです。

(2009年06月04日) 【教育を問う その23】[▲ 先頭へ]
今週は各中学で前期・中間テストが行われています。A中学は火曜日・水曜日の2日間でした。サミット・ゼミでは、英語・数学とも定期テストの約2週間前からテスト対策の授業になります。今回の中間テストでも5月17日の週からテスト対策を実施しました。中3の英語では、2年生の後期・期末テストの範囲が教科書Unit 3の最初の基本文までだったので、Unit 3の最初のページから復習を行いました。

テストの10日程前に試験範囲が発表されましたが、英語の試験範囲には、何とUnit 3は含まれていませんでした。この単元には、経験と完了の現在完了だけではなく2年生では習わなかった不定詞の2つの用法(形容詞的用法と副詞的用法)が含まれています。現在完了、不定詞はそれぞれ英文法の超重要項目です。

ゼミの教室でUnit 3の復習をしたにもかかわらず試験範囲に含ませていなかったので、私の教室に通っているB君は「変だなぁ〜」と思い、学校の英語の先生に、前回の試験に含まれなかったUnit 3が今回の中間テストの範囲に入っていないことを指摘しました。それは先週の月曜日のことでした。B君から指摘された先生は他の先生方と話し合ったそうですが、結局Unit 3は試験範囲に復活しませんでした。その結果、今回の英語の試験範囲には文法的に重要な項目は含まれないという奇妙な事態になりました。

先ず、そもそも何故試験範囲を間違えてしまったのかという問題があります。初歩的というより考えられないミスです。また、生徒の指摘を受けて、試験範囲を訂正する時間的な余裕は十分あったはずなのに、何故訂正しなかったのかという疑問もあります。前回の「塾長からの一言」では公教育が復活するべきだと述べました。今回の件は小さな事かもしれませんが、公教育の現場の怠慢や無責任が感じられます。学校の第一線の空気はどうなっているのでしょうか。また、B君が学校の対応についてどのように感じているかも気になります。少なくともhappyではないはずです。

(2009年05月28日) 【To summarize 10 years その20】[▲ 先頭へ]
先日上京して大学時代の友人と一杯やりました。私の仕事柄教育に関する話も出てきました。さいたま市に住む彼の小学6年生の息子がこの春、学習塾を変えたということでした。その子は小学5年生から学習塾に通っているそうですが、中にはもっと低学年から塾通いする小学生もいるとのことでした。私は、何故小学生から塾通いが必要なのか尋ねました。友人によると、進学率の高い私立の中学に入学させるためだそうです。公立の中学ではダメなのかさらに尋ねましたが、学校環境や進学のことを考えると私立の優先度合が高いそうです。

金沢に住んでいるとその話は俄かに信じがたいのですが、東京や大阪の大都市圏では現実の話です。毎年春先に何校も私立中学を受験する小学生の姿を伝えるマスコミの報道を思い出します。そういう状況の一つの結果として東京では難関大学の進学率において都立高校の地盤沈下が起こり、2001年以降石原慎太郎都知事の下、学区制の撤廃や入試制度の改革が行われました。東京では私立高校が先行し、負けじと都立高校も頑張っています。教育という場において東京を始めとする大都市圏と地方の地域格差が存在しているのではないかが心配です。(2008年11月27日付け本欄参照)

話は変わりますが、学習塾を10年半余り運営してきて思うのは、学校が教育の本来の機能を果たしていないから学習塾が存在しているということです。本当は学習塾はない方が良いと思います。中3の皆さんを見ていると何かしらの矛盾を感じます。学校の授業をきちんと聞いて部活に励んで帰宅すれば眠くなって当然です。そこから塾に通うという姿が望ましいものでしょうか。学校がもっとしっかり教え育てれば、学習塾に通う必要性はなくなると思います。ある学習塾の新聞チラシに「本当に学力が身に付く塾で学びませんか?」というキャッチ・コピーがありました。学校の先生方はそれを見て奮起しないのでしょうか。

しかしながら、学校の現場にも様々な問題点があるようです。私の知人に金沢市内のある中学の教頭先生がいます。先月のある日、その先生とじっくり話す機会がありました。学校がしっかりすれば塾はなくても良いのではないかとその教頭先生に問題提起しました。その先生は、学校の現場がとにかく忙しいと説明されました。教育委員会に提出する資料が膨大にあり、資料作りにかなりの時間がとられるそうです。また、金八先生のテレビ番組のような出来事も起こり、いわゆる生活指導に要する時間も少なからずあるので、いわゆる「教える」そして「育てる」ことに関して考え、工夫する時間が決定的に不足しているとのことでした。これはテレビの教育特番でよく指摘される点です。

私は、問題の本質は学校の現場にあると考えています。生徒と直接接している現場が好ましい状況にあれば、付随する様々な問題は解消されるはずです。上述の教頭先生と話している時、私は、一番大切な課題は生徒を教え育てることであるので、現在疎かになっている「教える」「育てる」点を強化するために、過度な資料作りを強制する教育委員会が教育の現場をもっと理解すべきであり、また、先生の数を増やすべきではないかと話しました。しかし、真に残念ながら、私の提案はなかなか実現できない現実があるそうです。

上記の2つの点は別々の話のようですが、突き詰めれば問題点は同じではないかと思います。東京や大阪等の大都市圏では、公立の学校では「教える」そして「育てる」要素が弱くなってしまって私立の中学や高校の人気が高まったのではないでしょうか。また、地方では然るべき水準の勉強を確保するため、そして勉強に対するモチベーションを高めるために学習塾に通わなければならないという状況があります。これら2つの状況は、それぞれ相応の費用がかかるという意味で、然るべき水準の教育を受ける機会が全ての子供たちに平等に与えられていないということになります。これは社会的に大きな問題だと考えます。要は公教育が衰退しているということです。

公教育の復活に関しては、安倍内閣において教育再生会議がありました。その後の福田内閣では教育再生会議の後継として教育再生懇談会が設置され今日に至っています。教育再生懇談会は、直近では今年2月9日に、これまでの審議のまとめとして第三次報告を行いました。ポイントは、携帯電話利用の在り方について、大学全入時代の教育の在り方について、教育委員会の在り方についての3つでした。この第三次報告を読んでみましたが、一般論が並んでいるだけで具体的な成果が期待できるものではありませんでした。教育再生懇談会が言葉だけでどんなに立派な提言をしようとも、実際の教育の現場が変わらなければ意味がありません。日本の教育はこれからどうなるのでしょうか。自分に何ができるのかわかりませんが、何らかの行動はしたいと思っています。

10周年シリーズは今回でおしまいです。昨年11月6日から20回に亘って中高生の勉強に関して述べてきました。10年間の学習塾経験の中で感じたことをそれなりにまとめたつもりです。「独り善がりにならない」が自分に対する戒めの一つですが、何かおかしな点があればご指摘頂けるようお願い申し上げます。今後さらに経験を重ねることで新たな思いが出てくれば、また別の形でまとめたいと考えています。

(2009年05月21日) 【To summarize 10 years その19】[▲ 先頭へ]
NHKに「日本の、これから」というシリーズがあります。平成17年4月2日に放送された第1回のタイトルは「どう思いますか格差社会」でした。その番組では、格差を容認する社会か、平等を重視する平穏な社会か、どちらが重視されるべきかが議論されました。今回の塾長からの一言では、中高生の姿から格差について述べます。

私が中高生だった頃の勉強に対する平均的意識と今の中高生の皆さんの平均的意識を比べると明らかに違いがあります。以前は学校の先生や両親に言われなくても、勉強しなければならないという意識がありました。今は世の中が豊かになり、それほど努力しなくても食べていけるという思いが根底にあり勉強に対する意識が低くなっています。「ウチの子には欲がない」と言われるお母様方がいらっしゃいますが、その言葉は今の中高生の意識を反映しています。

7年前の2002年9月26日付け本欄のテーマは「知らないことを恥じる」でした。その日の日本経済新聞のコラム「春秋」では、四十代以上の人たちに知らないことを恥じる傾向が見られると述べられていました。これは以前の中高生の勉強に対する意識の高さを表していると思います。

今は勉強に対する意識が一般的に低くなっていますが、一部の中高生の皆さんの意識レベルにはかなり高いものがあります。私の生徒さんでも、医師、バイオ・テクノロジー、建築デザイン等の仕事を将来的にやってみたいという高校生の皆さんは真摯に勉強に取り組んでいました。彼らは以前の頑張り屋さんと違いはありません。

以上の状況を客観的学力レベルを横軸にして統計的に見ると、2つの正規分布のグラフが描けます。以前の中高生を表わすグラフを基準にすれば、今の中高生を表わすグラフは、グラフ右端の成績上位層の部分は変わりないものの、人数が最も多いグラフが最も高くなる平均点層の部分が左側にズレます。このズレが以前と今の一般的意識レベルの差に当たります。この点も問題ですが、さらなる問題点は成績下位層の分布状況です。結果的に、今の成績上位層から成績下位層までの幅は、以前の成績分布に比べて大きくなっています。

今や死語になった一億総中流とは、左端(成績下位層)から右端(成績上位層)までの差が小さいグラフを前提としていました。しかし、今は左端から右端までの幅が大きくなっているのです。この広がった差は将来的な格差につながると考えるのが自然だと思います。

冒頭のNHKの問題提起はかなり乱暴ですが、私が答えるとすれば、上記の通り、格差社会は世の流れだと思います。平等は大切ですが、無条件の平等は決して平等ではありません。私は、努力が報われることが最も重要だと思います。努力の差によって格差が生まれるなら、それは容認されるべきでしょう。いろいろな機会が均等に与えられるという意味で平等性が大切であり、それを前提とした上で、本人の努力次第という姿が良いと考えます。

(2009年05月14日) 【To summarize 10 years その18】[▲ 先頭へ]
10年半前、学習塾を始めて驚いたことが幾つかあります。その内の一つが、中学生が学校の地理の時間に世界で3カ国しか学んでいないことです。数年前はアメリカ、フランスとマレーシアでした。この国際化された世の中において何故3カ国なのか、また、何故中国、韓国ではなくてマレーシアだったのでしょうか。今はマレーシアが中国に変わっていますが相変わらず3カ国しか学んでいません。しかも、現在当ゼミに通ってくれている中3生は、教科書に3カ国載っているのに実際に授業で学んだのは2カ国だけだったそうです。

中学がこの有り様ですから高校でも似たような状況があります。それは、高校で学ぶ理科・社会の科目が限られているということです。私は高校時代に理科では物理・化学・生物・地学を、社会では世界史・日本史・地理・政治経済・倫理社会を学びました。現在、高校で学ぶ理科はほとんどの人が2教科以下だと思います。また、社会においては3年前に必修科目履修漏れの問題が発覚しました。要するに、以前に比べて現在の高校生が学ぶ理科や社会の科目がかなり少なくなっているという事実があるのです。

特に、必修科目履修漏れがあった社会の地理歴史(地歴)が問題です。地歴では、世界史・日本史・地理の3科目の内、世界史が必修で、残りの2科目から1科目を選択して合計2科目を学ぶことになっています。選択科目の日本史・地理のいずれを選んでも問題があります。日本史を選べば、地理の裏付けのない歴史はいかがなものでしょうか。地理を選べば、自分の国の歴史の知識が浅くて良いのかという問題があります。将来日本を背負って立つ若者を育てるのであれば、これら3科目は全て教えるべきです。もちろん、大学入試センター試験の社会の選択科目を変更する必要はあるでしょうが…

今の中高生が以前に比べて能力的に劣っているわけではありません。学習量が減り、学ぶ科目に偏りが出来ているのです。この状況は彼ら自身の将来のためにも、そして日本の将来のためにも良いはずがありません。この10周年シリーズその5で小柴先生のお言葉をご紹介しました。学校で覚える様々な知識と思考力の掛け算で人間の総合的能力が決まり、社会での活躍が決まるというものです。この観点から言うならば、今の中学・高校での学習内容には大きな問題が含まれています。

以上の内容は現行の教育制度の問題であり、中高生の皆さんが悪いのではありません。中高生の皆さんには、不足していると考えられる学校の勉強に対し真摯に取り組んで欲しいと思います。ゆとり教育が見直されて学習量は少しずつ増えているようですが、十分であるとはとても言えません。世界第2位の経済大国の地位を維持し、さらにはその上を目指すためにはどのような学習内容・学習量が必要なのか、という根本的な問題について議論すべきだと思います。

(2009年05月07日) 【To summarize 10 years その17】[▲ 先頭へ]
中学の数学は、例えば1年の方程式、2年の連立方程式そして3年の2次方程式と学年が上がるにつれて少しずつ難しくなっていきます。しかし、中3と高1の数学にはかなり大きな差があります。中3で学ぶ2次関数は必ず原点が頂点である単純なものですが、高1の本格的な2次関数は軸が動くだけではなく、場合分けが絡むと非常に難しくなります。

大学入試につながる高校の数学を克服するキーワードは「解法のテクニック」の習得です。「解法のテクニック」とは私が高校時代にお世話になった受験参考書の題名で、著者の矢野健太郎さんの名前は今でも覚えています。(因みに、現在も、監修者は異なりますが同名の数学参考書が出版されています。)解法のテクニックとは様々な問題を解くための手法・考え方であり、各数学参考書において「指針」「着眼」「CHART」のような題名でまとめられているものです。

この問題を解くためのアプローチを数多く習得するためには、できるだけ多くの問題を解かなければなりません。基本的には、学校の授業にしっかりついていけば良いのですが、自分の志望大学によってプラス・アルファの勉強が必要になるかもしれません。また、厄介なのは、一度覚えたつもりでも時間が経過すると忘れてしまうという点です。ですから、自分なりに復習をして、高校数学各分野の解法パターンを常に活性化しておく必要があります。

以上のようにして数学の実力をつけた上で模試を利用して自分の力を確かめます。模試そして大学入試(特に記述式の2次試験)では別のポイントが必要になります。それは、満点は必要ではなく、自分なりの目標点を獲得するということです。そのためには与えられた時間の使い方が大切になります。言葉を換えれば、難問を見抜いた上でパスし、易しい問題は確実に解き、標準難度の問題の解き具合で勝負ということになります。これは重要なテクニックであり、模擬試験を受けることで慣れていきます。高3の皆さんは、ゴールデンウィーク後半に石川県統一テストである記述式模試を受けました。今年度初めての模試です。問題の復習だけではなく、数学の時間の使い方についても十分復習すべきです。

大学入試の数学において時々耳にする失敗はセンター試験での失敗です。一般的には大学毎の2次試験に比べてセンター試験は易しいテストです。従って、2次試験に数学が課される受験生の皆さんは、数学の勉強は記述式の2次試験中心です。各高校ではマーク式のセンター試験対策は高3の11〜12月から始めます。しかし、センター試験直前になってから始めるのは考え物です。センター試験の数学は、誘導形式とも言われる独特な問題形式であると共に時間との闘いという側面もあります。特にUBでは60分の制限時間は厳しく感じるはずです。石川県統一テストではマーク式が6月から始まります。私はマーク式模試の前はTA、UBとも60分練習を最低各1回はすべきだと考えています。センター数学を舐めたら痛い目に合うはずです。

(2009年04月30日) 【To summarize 10 years その16】[▲ 先頭へ]
今まで本欄で何回も高校の英語について述べてきましたが、今回の一言では、それらを取りまとめてみるつもりです。

国際化された現代において、我々日本人が外国の人々と話したりビジネスをしたりするための手段として英語が幅広く使われています。高校生諸君には、この事実を踏まえ、大学入試を通して英語を身につけて欲しいと思います。決して大学入試のために勉強するとは思わないで欲しいです。英語の勉強は、自分が将来国際的に活躍するための前提条件なのです。

大学入試を乗り越える高校英語に必要なことを簡潔に述べれば、単語と文法を固めた上で英文構造を見抜く力を養う、ということになると思います。

先ずは文法をしっかり学ぶ必要があります。文法を学びながら英文読解の教科書の勉強、特に予習を通して英文構造を見抜く力を磨きます。英文をS(主語)、V(動詞)、O(目的語)、C(補語)、M(修飾語)に分析するということです。サミット・ゼミ高校クラスでは、各高校の定期テスト時にそれぞれの英文読解の教科書の復習をして、生徒さんの学習の度合いをチェックしています。

英文構造を見抜く力がつけば、長文問題が分かるようになり各大学2次試験の記述問題を解けるようになります。また、英文を読むスピードが早くなり、80分間の大学入試センター試験に余裕を持って臨めるようになります。さらには、文法的に正確な英文を書けるようになります。この意味で、英文構造を見抜くことが高校英語の核心であると考えています。英文構造を見抜くベースになるのが文法ですから、英文法のマスターは絶対条件です。

英語の勉強で意外と疎かになっているのが単語です。記述式問題にしてもマーク式問題にしても長文問題が読めない最大原因は単語力不足です。知らない単語が1〜2個であれば文脈によりその単語の意味を推定できますが、たくさん出てくれば手も足も出ません。単語と文法は英文と戦うための武器だと言えます。武器がなければ戦えません。

社会に出れば英語はコミュニケーションやビジネスのためのツールです。そのツールを自由自在に使いこなせる力を大学受験を通して鍛えるのです。

(2009年04月23日) 【To summarize 10 years その15】[▲ 先頭へ]
高校生の皆さんにとって勉強と部活の両立はとても大きな課題です。サミット・ゼミ10年半の中で、勉強と部活を見事に両立させた生徒さんは極く少数です。

私自身は高校時代部活をしませんでした。中学の時に剣道をしていたので、高校でも剣道をするつもりでした。しかし、中3の担任の先生からアドバイスがあり剣道部には入りませんでした。その先生は高校の剣道部を調べて下さり、かなりの稽古量で勉強に支障があると判断されたようです。

自分が部活をしませんでしたから、勉強と部活を両立させている高校生を見ると頭が下がります。しかし、そう簡単には両立できません。1、2年の時は部活を頑張り、高3の大学受験生になってから、特に6月の最後の大会が終わってから受験勉強をしようと思っても、残念ながら手遅れです。大学受験勉強はそれほど生易しいものではありません。1、2年の時の出遅れを取り戻すことはほとんど不可能です。

勉強と部活を見事に両立させた人達に共通するものがあります。それは強烈な目標意識です。「自分は絶対に○○大学に入ってやる」この情熱が全てです。この気持があれば、部活で疲れていても机に向かってやるべき勉強をすることができます。これができる人達は時間の使い方がうまくなります。と言うか、時間をうまく使えなければ勉強と部活を両立させることはできません。また、その限られた時間で勉強に集中しなければなりませんから、結果的に集中力も鍛えられます。

星稜高校や金沢高校の難関大学を志望するコースでは授業が毎日7限まであり、物理的に体育会系の部活には参加できないようになっています。無理なく学力を然るべきレベルまで高めるためには、そのようなシステムが必要なのでしょう。部活をしながら難関大学を狙う高校生の皆さんは、地元石川、そして全国には部活をしないで勉強に取り組んでいる人達がいるということを頭の片隅に入れて、勉強と部活を両立させて欲しいと思います。

(2009年04月16日) 【脳から血が出るほど考える】[▲ 先頭へ]
これは私の言葉ではありません。厳し目の私ですが、これほどキツイ言葉は言えません。確かに、常日頃、覚えるものは覚え、しっかり考えなさいと生徒の皆さんに言っています。しかし、脳から血が出るほど考えるという言葉には驚きました。

これはビジネス誌「PRESIDENT」で紹介されていた言葉です。サラリーマン時代に時々読んでいた雑誌で、学習塾を始めてからも新聞に広告が出る度に記事項目をチェックしていました。2009年4月13日号に知人が掲載されていたので買い求めました。知人の部分以外をパラパラめくっていたところ衝撃的な言葉が目に飛び込んできました。

東大理学部卒業後、日本IBMに入社、2007年に同社専務取締役を退任された後、2008年4月から英会話教室・英会話スクールを運営しているベルリッツインターナショナルCEOをされている内永ゆか子さんの言葉です。内永さんは「難しい課題に直面したとき、私は朝晩なく考えて考えて考え抜く。脳から血が出るほど考えます。」と語っていらっしゃいます。

考えることの大切さを刺激的に伝えるこのメッセージをゼミの各クラスで紹介しました。先月から一緒に勉強し始めたある中3生は、数学が苦手で今までは応用問題になると自分からシャットダウンしていました。その生徒さんにとってこの言葉は強烈なインパクトがあったようで、家に帰ってからお母様に話したそうです。

なお、生徒の皆さんにはこの言葉ともう一つ、伊藤忠商事会長の丹羽宇一郎さんの「努力する人間を社会は決して放っておかない。」という言葉を紹介しました。素晴らしい言葉だと思います。因みに、私は生徒の皆さんに、自分の部屋に入って勉強すべき時に遊んでいても勉強の神様が見ているよと話しています。仕事でも勉強でも努力する人を社会や神様は放っておかないはずです。

(2009年04月09日) 【To summarize 10 years その14】[▲ 先頭へ]
今週は各高校で入学式が行われています。新入生の皆さんは期待と不安が入り混じった心境だと思います。彼らは入学前にかなりの宿題が出され、志望校合格に浮かれている余裕はなかったようです。たくさんの宿題は高校の勉強は厳しいぞという高校からのメッセージでしょう。

中学と高校の勉強の違いは、ズバリ予習と復習の違いです。先月18日の公立高校合格発表の後、志望校に合格した生徒さんが父兄の方と一緒に挨拶に来てくれました。その時、中3の時に学校の勉強の予習や復習を日常的に行っていたか否か聞いてみたところ、やっていた人は皆無でした。中学ではそれでも構いません。学校の授業をしっかり聞いて、テスト前の勉強を手抜きなくすれば好成績を残せます。

しかし、中学時代と同じ意識では高校の勉強についていけません。高校では予習と復習が絶対的に必要です。もちろん全ての科目で必要というわけではありません。予習が必要な科目は英語です。高校の英語は英文解釈の教科書の予習なしに実力をつけることは不可能だと言っても過言ではありません。復習が必要な科目は数学です。復習というより既習分野の問題練習が必要だと言い換えた方が良いかもしれません。(これらについては今後の本シリーズで述べるつもりです。)

高校では学年数プラス1時間の自宅学習が必要だとよく言われます。高1生では1プラス1の2時間ということになります。英語の予習をして、数学では学校から指定される範囲の問題練習をすればそれ位の時間は最低限必要になります。先ずは、中学とは異なる高校での生活のリズムを掴むことが大切です。

(2009年04月02日) 【To summarize 10 years その13】[▲ 先頭へ]
中3クラスが始まり2週間経ちました。今週は2回目の200字作文練習を行っています。1回目の練習では、先ず作文の書き方に関するプリントで書く手順や注意点を説明しました。ポイントは課題に沿った自分のテーマを決めることと書き始める前に200字全体の構成を考えることの2つです。プリントを説明した後は初練習でした。初回ですから書き易いテーマを選びました。テーマは「中3になるにあたって」でした。全ての生徒さんが15分前後で書き上げました。初めてとしては上出来でした。

入試や模擬試験の国語では、作文にかけられる時間は数分のはずです。従って、どんなテーマであっても200字の作文を10分以内で書くことが当面の目標です。私の手元には、過去の公立高校入試問題、模擬試験問題そして他の県の入試問題、またそれらの問題を参考にしたオリジナルの問題が豊富に揃っています。これらの問題を使って練習を重ねれば今年の秋が深まる頃には全員が書けるようになるはずです。

作文が10分程度で書けるようになれば小論文は必ず書けます。サミット・ゼミでは例年12月から小論文練習を始めます。昨年は11月から始めて入試までに6回練習しました。最初の2〜3回はなかなか書けませんが、4回目位から段々書けるようになります。なかには素晴らしい小論文を書く生徒さんもいて、その内容に感動を覚えることもありました。小論文を添削する時は、私も気合いを入れます。テーマ性、全体構成、論理性等いくつかのポイントをチェックします。

小論文の練習を始める前には、作文と小論文の違いを説明します。一言で言うなら、作文は自分の気持ちを正直に書くもの、小論文は自分の考えを論理的に説明するものです。情緒的と論理的で内容には違いがありますが、文章を書くという意味では両者は同じです。比較敵簡単な作文で書く練習を積んでから小論文に取り組むという手法は、私の経験上悪くないと考えています。

作文や小論文では与えられたテーマについて考えることが必要です。そして、その自分の考えを文章にしなければなりません。考えることができても、それをそのまま文章にできるとは限りません。書く能力が要求されます。要するに、思考力と文筆力が問われます。中高時代、私は作文が大嫌いでした。今も作文や小論文が好きだという中学生はほとんどいません。しかし、教える立場で言うならば、作文や小論文はとても重要な課題だと言えます。考える力そして書く力は実社会で要求される大切な能力だからです。

作文や小論文が書けるようになるためには練習を重ねるしかありません。慣れの要素がかなり大きく、練習を積めば必ず書けるものです。ただし、書きっ放しはダメで、誰かの添削が必要です。実際に書いて誰かに添削してもらう、これを繰り返せば立派な作文や小論文が書けるようになります。

(2009年03月26日) 【To summarize 10 years その12】[▲ 先頭へ]
国語の読解力に問題がある人が少なくありません。中高時代の私も同様で、国語の成績はイマイチでした。数学が得意でしたが、方程式の文章問題だけは嫌でした。当時の私は読解力が弱かったからです。これは学習塾をやり始めて気づいた点です。

そんな私を目覚めさせてくれたのが、浪人時代に河合塾の先生から紹介された一冊の薄い参考書でした。伝説の名著とも呼ばれる高田瑞穂さん著「新釈現代文」です。(本欄2005年5月19日、2007年8月2日でもご紹介致しました。)現代文を読み解く「何でも切れるナイフ」とは、文章を読む時は筆者の言いたいことを素直に読み取り、設問に答える時は自分の言葉ではなく筆者の言葉で答えるという2点です。

私はこれらのポイントを大学浪人時代に習得しましたが、何でも切れるナイフは高校生だけではなく中学生にも使えます。サミット・ゼミでは夏休みや冬休みに実施する中3生の国語の読解練習で2つのポイントを徹底しています。

最初のポイントの素直に読み取ることに関して、私は生徒の皆さんに「reading machine」という言葉を使っています。感情を含めないで機械のように、書いてある通り素直に読み取りなさいという意味です。ここでの要素は「素直さ」と「考える力」です。「素直さ」は予断や偏見を持たずに素直に読み取ること、「考える力」は単に読み流すのではなく筆者の考えを理解することが内容です。

第2のポイントは、特に中高時代の私が勘違いしていた点です。問題文に書かれている筆者の言葉で答えるのではなく自分自身の言葉に置き直して答えなければならないと思い込んでいました。難しく考え過ぎていたのです。高田先生に筆者の言葉で答えるんだよと教えて頂き、それ以降は「何だ、それで良いのか」と気持ちに余裕が出来て国語の成績が安定したものです。

ある大学受験雑誌には、現代文には才能が必要で、勉強しても伸びる保証はないと書いてありました。確かに現代文の素晴らしい才能を感じることができる人もいますが、「何でも切れるナイフ」でほとんどの文章は料理できるはずです。誰にでも使える簡単なナイフであり、ポイントを押さえて練習を重ねればナイフの切れ味は増していきます。

因みに、数学の方程式文章問題を解く時には、ポイントはただ一つ、文章に書いてある通りに式を立てることと話しています。中学時代の私には素直さが足りなかったと分析しています。

(2009年03月19日) 【合格発表、感動!】[▲ 先頭へ]
昨日正午に石川県の公立高校入試の合格が発表されました。私は毎年、北國新聞会館で受験生の結果を確認します。昨日は所用のため同会館に向かうのが遅くなりました。香林坊へ向かって車を運転中、12時半過ぎに携帯電話が鳴りました。すぐに車を路肩に止めて電話に出ました。

先週の入試で手応えを掴めずほとんどあきらめていた女子受験生からでした。入試直後にメールをもらい、どうなるかなぁ〜とかなり心配していた私は、合格して号泣している彼女に思わず感動でした。一緒に通ってくれていた仲の良い友人も同じ高校を受験して合格でした。電話はその友人に替わりました。受験のプレッシャーに負けそうになっていた彼女も号泣でした。女子二人に号泣されて私も涙が出てきました。電話を切った後しばらくは目をウルウルさせながら運転し香林坊へ向かいました。

教室に入りしばらくすると二人が挨拶に来てくれました。今度はニコニコと晴れやかな表情を浮かべていました。この一年間にあった様々なことについて楽しく語り合いました。二人とも夏休みまで勉強に手抜きがあり、9月の模試結果に真っ青になっていました。その後は本当に真面目に勉強に取り組み少しずつ成績が上がってきましたが全てが順調だったわけではありません。学校の先生の心無い言葉に傷ついて一週間ほど落ち込んだこともありました。テストの緊張感に負けて点数が伸びないこともありました。良い結果が出て、全てのことは良い思い出になりました。

会社勤めをしている時に泣いたことは一度もありません。仕事がうまくいってホッとしたことは何度もありましたが、感動を覚えたという記憶はありません。今は、受験という人生における大きな節目を生徒の皆さんと一緒に経験させて頂いています。ヒューマンな側面が大きいので心を揺り動かされることが度々あります。残念な結果に終わった生徒さんもいましたからほろ苦さは残るものの、昨日は大きな感動を味わうことができました。彼女たちは「先生、ありがとう」と言ってくれましたが、私こそ感動させてもらい「ありがとう」です。

(2009年03月12日) 【高校入試、今年の数学】[▲ 先頭へ]
今週火曜日(3月10日)に石川県の公立高校入試・学力テストが行われました。私が注目していたのは何と言っても数学です。過去3年間、数学の平均点は53.2点、51.2点、40.6点と推移してきました。今年はどれ位の難度の問題が出されるのかに大きな関心がありました。

公立高校の入試は、国語、数学、社会、理科、英語の順番で実施されます。当日午後2時の時点で、北國新聞社のホームページから数学の問題をダウンロードすることができました。私は早速プリントアウトして解いてみました。

丁度一年前は「これは難しいぞ」と思いながら解いたことを覚えています。今年は、昨年程ではないにしても、それなりに難しいだろうと予想していましたから、気合いを入れて問題に取り組みました。火曜日に実際に解いた感覚では、昨年よりはかなり易しくなっていました。例年難問が出題される三平方の定理が絡む空間図形の問題は標準レベルで、証明問題も取り組みやすいものでした。

今年の難問は4番の作図と5番の規則性の問題ですが、それ以外は標準的な問題だと思います。昨年は1番の最後の小問から、2番の連立方程式文章問題、3番の平面図形、4番の作図と難度が高い問題が連続したのでパニックに陥った受験生が数多くいたと思います。平均点が40.6点まで下がれば数学で差がつきにくく、数学が苦手な人にとってラッキーでしたが、今年は数学の実力がそのまま点数に表れると思います。

新中3クラスは来週からスタートします。数学の授業プログラムは基本的に毎年同じですが、どのレベルの問題まで解くかは高校入試の問題傾向を踏まえて判断しています。これから一年間をどうするかは来月発表される平均点を確認した上で決めるつもりです。

(2009年03月05日) 【最後の小論文練習】[▲ 先頭へ]
石川県の公立高校入試は今週火曜日に志願変更が締め切られ確定倍率が出ました。今年は二水と桜丘の倍率が低くなりました。私の手元にある過去10年間のデータの中では両校とも最も低い数値です。錦丘が昨年に続いて高倍率になったものの、成績上位層にいる高校受験生の出願心理が弱気に傾いたようです。公立高校の入試はいよいよ来週火曜日・水曜日(3月10・11日)です。

先週の中3クラスでは最後の小論文練習をしました。例年12月から始める小論文練習ですが、今年度は11月に開始して先週が6回目でした。昨年11月の段階で皆さんが200字の課題作文を10分以内に書けるようになっていましたから、6回の練習でほぼ合格レベルの小論文を書けるようになりました。小論文の書き方についての資料は昨年度までに準備してありました。今年度は更なる手直しを加えて受験生をバックアップしました。

素晴らしい小論文を書けるようになった人もいます。2月8日の石川県総合模試で小論文テストを受けた人の答案は完璧でした。先週の練習でも深い考察に基づく記述や工夫した表現があり感心させられました。中3生も大したものです。もちろん失敗することもあります。よくある失敗はテーマ性です。文章自体はまとまっていても設問に答える内容でなければ評価できません。考察が弱い場合も見かけます。しっかり考えて書いた答案とそうでない答案では読んだ印象が全く異なります。小論文に慣れてきた段階でのミスとして、考え過ぎて何を言っているのかわからなくなるケースやオリジナルの表現をしようとして失敗するケースが散見されます。

小論文は採点するのが大変です。しかし、テーマ理解力、考察力、論理的説明力、表現力など様々なポイントがチェックできますから、受験生の能力を検査するにはとても良い課題だと思います。高校入試では学力テストで多少失敗しても小論文の出来で逆転合格することがあると言われています。「さもありなん」と思います。

なお、生徒の皆さんの小論文を添削したりコメントを書いたりする時の私の赤ペン文字は改善傾向にあります。毎日練習しているペン習字の成果は徐々に表れていますが、まだ満足できるレベルには至っていません。完全に身についてしまった悪筆を直すのは大変です。

(2009年02月26日) 【To summarize 10 years その11】[▲ 先頭へ]
中学の数学にとって必要なものは何でしょうか。計算力と思考力がすぐに思いつきます。私は、これらに付け加えて本質を掴む力を挙げたいと思います。

計算力が必要なことは当然のことです。この計算力の延長で幾つかのチェックポイントがあります。一つは割合の計算です。例えば、男子生徒400人の5%という場合、400 x 5/100という計算の掛け算部分が曖昧で足し算にする人がいます。数学が苦手な人によくあるミスは、ax=bの方程式でx=b/aではなくx=a/bとしてしまうものです。また、線分AB上にCがあり、AC:CB=2:5である場合のACの長さはABの長さx 2/7になりますが、x 2/7がなかなか理解できない人もいます。これらは小学校や中学1年の段階でマスターすべきポイントです。うまく計算できない人は反復計算の量が絶対的に不足しているからだと思われます。

思考力は中2で学ぶ1次関数や三角形の合同・平行四辺形の証明で問われます。小学校から中1まではそれほど考えなくても問題が解けましたが、1次関数や証明の応用問題ではじっくり考える必要があります。三角形の合同や平行四辺形の証明で、ある証明をした上でさらに第2の証明が必要になるような難問は落ち着いてじっくり考えなければなりません。中3の後半で学ぶ平行線と比や三平方の定理の応用問題は正に思考力が問われます。三平方の定理が絡む応用問題は高校入試の難問として良く出題されます。

本質を掴む力が必要な典型分野は作図です。テストでは線分の垂直二等分線や角の二等分線の性質を応用した問題が出されます。線分の垂直二等分線や角の二等分線の作図自体は簡単ですが、それらの性質をきちっと理解していなければ模擬試験や高校入試で出題される作図はできません。

数学はとにかく問題を解かなければなりません。各分野の問題を数多く解けば、それぞれの分野の解法パターンが見えてきます。「あっ、アレを使えば良いんだな。」という気づきは本質を掴む力だと言えるでしょう。解法パターンを習得するためにどれ位の量の問題を解けば良いかについては明確なことはわかりませんが、教科書とワークの問題だけでは足りないということは指摘できます。

しかし、解き方が分かっているとしても実際に問題が解けるとは限りません。これが数学の厄介な点です。解法パターンをいつでも現実に使える活性化されている状態にしておかなければなりません。このためには様々な問題を常日頃から解いていることが必要です。

(2009年02月19日) 【To summarize 10 years その10】[▲ 先頭へ]
中学英語は2年生から3年生にかけて、未来形、不定詞、助動詞、接続詞、動名詞、比較、受け身、現在完了と次々に文法を学びます。そして3年生の教科書後半には後置修飾と言われる分詞の形容詞用法と関係代名詞が登場します。中学で学ぶ文法は高校で学ぶ文法の基礎になります。ある大学受験参考書には、英語が苦手な高校生は中学英語を復習すべきだという記載がありました。的を射た指摘だと思います。

各文法分野を征服するためには、先ずその形をしっかりと把握することが大切です。不定詞であれば to + 動詞の原形、受け身であれば be動詞+過去分詞+by 〜というものです。次にそれぞれの働きを理解します。ただ闇雲に日本語訳が分かれば良いというものではありません。それぞれの構文が持つ働きを理解した上で覚えることがポイントです。この理解&記憶は英語を克服するためのキーワードだと考えています。

各文法分野がそれぞれ大切ですが、中3の皆さんにとって分詞の形容詞用法と関係代名詞、特に関係代名詞が難しいようです。しかし、中学で関係代名詞を理解できなければ、この構文が頻出する高校の教科書は非常に難しいものになってしまいます。また、高校で学ぶ関係副詞、そして関係詞の継続用法(非制限用法)は全く分からないはずです。

関係代名詞は確かに理解しづらい構文です。2つの文を1つにする働きがあるという単純な説明で納得できるものではありません。私の説明は、生徒の皆さんの理解度合を見ながらこの10年間で少しずつ進化してきました。今では、「わかった?」との私の問いに、首を斜めに振る(理解が微妙であることを示す)のではなく縦に振ってくれるようになっています。

金沢の中2生は後期・期末テストが近づいています。今回の試験範囲は受け身と現在完了です。今回のテスト勉強でこれらの形と働きをきっちりマスターしなければなりません。今後はなかなか復習の機会が持てませんし、今分からなければ復習の際に理解することは容易ではありません。

(2009年02月12日) 【字は丁寧に!】[▲ 先頭へ]
私立高校入試の合格が発表され、公立高校の入試(3月10・11日)まで1か月になりました。今週の中3クラスでは小論文の練習をしています。小論文は昨年11月に練習を始めて今回が5回目の練習になります。少しずつ小論文らしくなってきましたが、課題が残っている人もいます。全体の流れがあやふやなまま書き始めて失敗する例が多々あります。

英語や数学の模試過去問練習をする場合は、すぐに丸付けをして練習当日に解説します。しかし、小論文練習では内容をしっかりチェックするために答案を預かり、次の授業の際に各生徒さんに返します。国語の問題に含まれる200字課題作文のチェックの時も簡単なコメントを書きますが、小論文の答案に対するコメントは長いものになります。

小論文でのコメントは多岐にわたります。テーマ性、論理の一貫性、全体構成に関するコメントが中心です。漢字を書きなさいと注意することもあります。また、字を丁寧に書くようにコメントすることもしばしばです。この字の丁寧さに関するコメントは私自身に対するものでもあります。

小論文が6年前に高校入試に導入されて以来、小論文練習の答案にコメントを書いています。いつも丁寧に書くように努力はしていますが、どうしても乱筆になりがちで情けない思いをしてきました。ペン習字を習わないといけないなと思っていたところ、新年早々新聞に通信教育のチラシが折り込まれていました。よしっやろう!と意を決して申し込みました。すぐに教材が送られてきて、今は毎日少しずつ練習しています。効果の程はイマイチ実感できていませんが、字を書く時の気持ちが少し変わってきました。

今月末に6回目の小論文練習を予定しています。その際のコメントを書く時に練習の成果が出れば良いなと思っています。はたして…

(2009年02月05日) 【To summarize 10 years その9】[▲ 先頭へ]
どんな言語であれ、語学の基本は単語、熟語、文法だと思います。中学校の英語において、これら3つの内で最も大切なものは文法であると考えています。中学の英文法がわからなければ本格的な高校の英文法はチンプンカンプンです。英語力が弱い高校生は、ほぼ共通して中学で学ぶ比較的簡単な関係代名詞を理解していません。高校の難しい英文法を理解するための絶対条件として中学で学ぶ英文法をマスターしなければなりません。

その中学レベルの英文法において最も基礎となるのはbe 動詞と一般動詞の違いをきちっと理解することです。中1段階でbe 動詞と一般動詞は全く違うものだと認識しなければ、中2・中3になっても “I was not play tennis yesterday.” という誤った文を書いてしまいます。このbe動詞と一般動詞を混乱したミスは教室でしばしば目にします。

私はbe動詞と一般動詞の区別、そしてこれら2つの動詞を融合して使う進行形と受け身について生徒の皆さんの印象に残るようなオリジナルの説明をしています。その説明は企業秘密なのでここではご紹介しません。スミマセン! この説明を含めて、中学・英文法について何時か私なりにまとめてみたいと思っています。

中1では、be動詞、一般動詞を先ず学びます。次のポイントは進行形です。2種類の動詞が一緒に使われますから、この段階で混乱をきたす人がいます。進行形を乗り越えると助動詞canの登場です。助動詞の性質をきちんと理解しなければ、これも英語がわからない混乱原因の一つになります。中1の秋から冬にかけて英語がわからなくなる人がいますが、原因は進行形か助動詞だと考えられます。

このように英語の超基本的事項を中1で学びます。学年が進むにつれて新しい分野が次々に登場して複雑になってくる中学英語ですが、全ての出発点はbe動詞と一般動詞のマスターです。

(2009年01月29日) 【To summarize 10 years その8】[▲ 先頭へ]
本シリーズでは7回に亘って勉強に関するポイントについて一般的に述べてきました。今後は中高生の勉強、特に英語・数学について具体的に述べていくつもりですが、先ず、小学校段階での学習に関してコメントしたいと思います。

サミット・ゼミのクラス設定は中2クラスからです。中2・中3の授業内容は英語・数学・作文・小論文(中3)です。(中3夏期講習・冬期講習では国語読解・理科・社会の授業もあります。)これらの中で英語は中1段階で理解が甘くても取り返しが十分に可能ですが、数学の基本的計算力や難問での思考力が大きな問題です。中2段階で計算力や思考力に問題があれば、その解決は非常に難しく、将来的にずっと尾を引く可能性が大きいです。また、生徒さんの読解力不足を指摘するお母様方も少なからずいらっしゃいます。

基礎学力の大切さは言うまでもありません。10年間学習塾をやってきて、やはり読み・書き・ソロバンの重要性を痛感しています。この読み・書き・ソロバンの現代バージョンが読解力・作文力・英語力・計算力です。上述の通り英語力は中2からでも何とかなります。作文も練習次第である程度書けるようになるものです。小学校での勉強と読解力の関係は自分の経験からはよくわかりませんが、基本的な読み取り方は小学校で鍛えるべきものだと思います。問題は計算力と思考力です。

小学校で基礎計算を反復練習しなければ計算力はつきません。この点が弱くなっているように感じます。百ます計算が有名になりましたが、それが有名になることこそが今の子供たちの基礎学力不足を象徴しているように思えます。百ます計算ではなくても何でも良いはずですから。計算力が弱ければ中学・高校の数学はぐらつきます。大学入試センター試験の数学は絶対的な計算力がなければ、問題との勝負の前に時間との勝負に負けてしまいます。

思考力についても小学校でじっくり考える習慣をつけなければ、そう簡単に鍛えることはできません。中1数学の学習内容はクリアできたとしても中2数学の1次関数の応用問題は思考力なしには解けません。方程式・連立方程式の文章問題で少しひねられると途端にわからなくなるのも思考力に問題があるからです。また、理科第1分野でも暗記だけでは対応できない思考力が問われる問題があります。

小学校での英語必修化については本欄でも何回か取り上げました。計算力、読解力、思考力等が十分なレベルにあるのであれば、小学校で英語の授業をどんどん進めれば良いと思います。しかし、計算力や読解力等の基礎学力に課題が残る小学校での学習に英語を含めれば、全てがいい加減なものになってしまう危険性があります。日本人の計算力や読解力が国際的に落ちてきている事実を認識すれば、中等・高等教育の基礎である小学校で何をすべきか明らかなはずです。

(2009年01月22日) 【入試前夜の食事】[▲ 先頭へ]
センター試験の結果を受けた大手予備校の合格判定資料は本日各高校に届けられる予定です。大学受験生の皆さんはこの資料を基にして今日から2次試験出願大学を検討します。当ゼミでも今週末、受験生の皆さんとの個別相談を予定しています。私も各種資料を準備しているところです。昨夜はインターネットで大手予備校のデータを調べ、床に就いたのは深夜2時でした。出願期間は1月26日〜2月4日で、凄い勢いで各日程が進行しています。

ところで、先週土曜日のセンター試験前日、大学受験生のいる家庭での夕食は何だったでしょうか。私は現役での受験前日の夕食を今でもはっきり覚えています。ごく一般的な家庭でしたが、ビフテキにトンカツという豪勢な夕食でした。夕食のテーブルで勉強に厳しかった母が「敵に勝つ」と語りました。ビフテキは敵、トンカツは勝つという意味でした。私は内心「何か違うなぁ〜」、「勝つべき対象は周りの受験生ではなく自分自身だよなぁ〜」と思ったものです。結果は母の期待むなしく玉砕でした。

受験生も自分の目標に向けて大変ですが、家庭で彼らを見守る父兄の方々、特にお母さん方の気苦労は計り知れません。いろいろ心配な事があり何か問いかけても、年代的に難しい年頃で、しかも受験のプレッシャーの中で闘っている受験生からの返答はつれないものでしょう。受験生のいる家庭は本当に大変です。私の母もハラハラしながら私を見守ってくれていたことでしょう。そして、大きな激励として豪勢な食事を準備したのだと思います。

大学受験生、高校受験生のお母さん方から受験生に対してどのように接すれば良いですかという質問を時々受けます。私の答えは「普通にしていて下さい。」という簡単なものです。しかし、この「普通に」がとても難しいと思います。成績のことは受験生から相談されなければ黙っていた方が良いかもしれません。お母さん方の仕事は健康管理になるでしょうか。その中心が食事です。栄養のバランスが大切ですが、入試の前日だからといって普段とは違う豪勢な献立にするとお腹を壊して入試に悪影響を及ぼしかねません。やはり「普通に」が良いと思います。

(2009年01月15日) 【To summarize 10 years その7】[▲ 先頭へ]
今日は1月15日、今年の大学入試センター試験は1月17日・18日で文字通り目前に迫りました。今週の高3クラスでの大学受験生の皆さんは平静を装いながらも緊張感が高まりつつある様子でした。中には「あせっています」と正直に話す人や、「気分はどう?」との問いに言葉が出てこない人もいました。

人生において受験とはどのような意味があるのでしょうか。「新・受験勉強入門 合格ガイダンス」(和田秀樹著)には、「実力主義の時代だからこそ、受験を利用して自分を高める!」「競争社会では、つねに個人の能力が試され、そこでふるいにかけられる。」と書かれています。受験を利用して自分を高めるという指摘は的を射ていると思います。

一流大学を卒業すればその後の人生が保障されるという世の中ではなくなりました。研究開発、マーケティング、通信、運輸等様々な分野の進展により、多くの企業は日本国内だけではなく国際社会という場において経済活動を行っています。正に競争社会であり、企業は高い能力を持つ個人を求めています。

近い将来、社会に出る立場の中高生の皆さんは、一流大学卒業という肩書を求めるというよりも、然るべき大学に合格するという目標を通して世の中で通用するように自分を鍛えなければなりません。いい加減な学生生活を送っていて、社会に出て突然目覚めてバリバリ活躍できるという夢物語はありません。受験が個人を高めるための唯一絶対のものではないでしょうが、多くの人が通過しなければならない関門であることは厳然たる事実です。知識を蓄え思考力を伸ばしつつ自分を鍛えるという意味で受験が持つ意義は小さくありません。

二日後にセンター試験が控えている大学受験生は、これまで積み重ねてきた努力を信じて試験に臨み、自らの力でハードルを乗り越えなければなりません。この経験は必ずや将来生きるはずです。そして、間もなく入試を迎える高校受験生には残された期間を有意義に過ごして良い経験を得て欲しいと思います。

(2009年01月08日) 【To summarize 10 years その6】[▲ 先頭へ]
学力を伸ばすために有用な資質として何が挙げられるでしょうか。いろいろありそうですが、3つだけ挙げるとすれば、私は、素直なこと、考える力、そして負けず嫌いなことを選びます。

誤解を招くことを恐れずに言えば、負けず嫌いなことが最も重要かもしれません。人間の性格としてはマイナス面もあるでしょうが、勉強においては欠かせない要素です。テストで悪い点数を取った時に本気で自分自身に腹を立てれば、次のテストで挽回できるでしょう。この点、のんびり屋さんは甘くなりがちで、成績を伸ばすことは難しいかもしれません。1999年、西武ライオンズ時代の松坂大輔投手が、敗戦の悔しさを次の試合にぶつけ見事勝利して「リベンジ」という言葉が流行しました。負けず嫌いが成果をもたらす好例です。

素直さと考える力は読解力の構成要素だと考えています。この読解力は勉強全般に関連する重要な能力です。読解力とは人の考えを読み取る力であり、人の見解を歪めて読むのではなく素直に読むことが大切です。(私は、これを感情を込めないreading machineと表現しています。)ただし、単に素直に読めば良いという訳ではなく、考える力がなければ筆者の言いたい内容は掴めません。

考えることが勉強の様々な局面で必要であることは言うまでもありません。数学では、中学2年で習う1次関数からは思考力が問われます。また、理科では「何故そうなるのか」と考えながら勉強しなければ理解は得られません。素直さも読解力の要素であるだけではありません。数学では、解き方が素直でなく、わざわざ難しく考えて間違えてしまうというケースをよく見かけます。素直さとは人間が伸びるための一般的な条件と言えそうです。

お詫びと訂正:
前回の一言(1月3日付け)第2段落で「気持が委縮してしまえば」と述べましたが、「委縮」は代用漢字で「萎縮」と記載すべきでした。申し訳ありません。

(2009年01月03日) 【Yes you can.】[▲ 先頭へ]
あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。昨年10月に10周年を迎え、これまでの経験を踏まえてますます力強く中高生の皆さんをサポートするつもりです。大学受験生はセンター試験が2週間後、金沢の中3生は公立受験校が決まる統一テストが来週木曜日に迫っています。彼らはもちろん、私も気持が引き締まってきています。

中高生の皆さんに対する接し方には気を遣います。褒めて伸ばすのが良いとも言われますが、それは往々にして彼らの甘さにつながります。だからといって徹底的なスパルタ式が良いわけでもありません。気持ちが委縮してしまえば実力を発揮することはできません。結局は生徒の皆さん一人一人の性格、その時の状況を踏まえて接するのが良いのだろうと思っています。非常に難しい点です。

一人一人を見つめるようにしていますが、基本的には「楽しく厳しく」がモットーです。教室では、明るく楽しい雰囲気の中で、緊張感を持って勉強に取り組めるように心がけています。褒めることと厳しくすることのバランスが大切ですが、少し厳しすぎるかなぁと反省することもあります。

昨年秋のある日、数学の宿題プリントに厳し目のコメントをよく書いていた中3生との個別反省会で、私が怖いかと聞いたことがありました。野球部で鍛えられていた彼は、「怖くはありません。厳しいだけです。」と話しました。彼の成績はほぼ順調に推移しています。また、昨年12月、高3クラスでセンター試験に向けて数学の特別授業を行いました。数TAの模擬テストで目標点数を大きく下回った生徒さんに奮起を促すかなり強烈な内容のメールを送りました。一週間後の数UBの模擬テストでは満足できる点数に達し、今日は良かったねと話したところ、「先生を見返してやろうと思いました。」との言葉が返ってきました。

このように普段は中高生の皆さんに対してやや厳しく接しています。そして彼らは、私の言葉に対して何くそと思いながら少しずつ成長しています。アメリカ大統領選でのオバマさんの演説のキーワードは”change”と”Yes we can.”でした。間もなく受験に臨む高3、中3の皆さんには”Yes you can.”という言葉を贈って激励するつもりです。