今週日曜日は夏至でした。中3クラスで、日曜日は夏至だったねと話しかけました。ある生徒さんに、夏至はどんな日か確認したところ、正しく答えました。彼に夏至の反対の日を問うと冬至と答えてくれました。さらに、昼と夜の長さが同じになる日が1年に2回あり、1年で最初に来るのは何と質問しました。彼は一瞬考えてから春分の日と正しく回答しました。このやり取りをニヤニヤしながら聞いていた人がいました。その生徒さんは知識が微妙で、「凄いな」と思いながら聞いていたそうです。
以上は公立トップ校を狙うクラスでの1シーンです。毎年この時期に、夏至、冬至等について問いかけますが、この身近なことに関する知識が微妙な人が少なからずいます。テレビ、ラジオでも、特に天気予報で夏至の日であることとその意味について伝えられますから、よくわからないということ自体がよくわかりません。
今の中高生はこのような日常的な知識だけではなく諺や慣用句に関する知識が非常に乏しく、戸惑うことが本当に多いです。先日は、「こんなことは朝飯前だよね。」と話した後、「朝飯前」の意味がわかっているか確認しました。予想通り知らない人がいました。諺や慣用句を使って話をする時は、生徒諸君の表情を見て伝わっているかどうかをチェックしなければなりません。極端に言えば、諺や慣用句はほとんど通じないと言った方が良いかもしれません。
今の子供たちは本を読まないからだという説明がありますが、それは私の経験からは当たっていません。私自身は中高生の時、ほとんど本を読みませんでした。高校時代、夏休みの計画表の読書欄を空欄で提出して先生に叱られたことがあった位です。私が本を読み始めたのは、東京に出て電車通学・通勤するようになってからでした。暇つぶしのため電車内で本を読んだのです。
私が特別に諺や慣用句をたくさん知っているわけではありません。フツーに知っている位だと思います。子供の時に本を読んで覚えたのではありませんから、それらを何時どのように覚えたのか不思議です。私が中高生の時は今の中高生と同じレベルで、社会に出てから常識の一部として覚えていったのでしょうか。昔の国語の教科書を勉強する過程で少しずつ覚えたのでしょうか。自分自身がどのようにして覚えたのかはよくわかりませんが、今の中高生が諺や慣用句をほとんど知らないということは事実です。日本語の持つ味わいや深みが失われつつあるのではないかと感じてしまいます。
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